「北のひめゆり」
「樺太真岡電話局」の九人の電話交換手の自決の話

ポツダム宣言を受諾して戦争は終結したにも関わらず、ソ連軍は樺太の国境線を越えて
南下を続けていました。
8月20日には、樺太南端の真岡市に上陸して街を蹂躙しました。
その緊迫した状況の中、最後まで交換業務の任務を果たし、自らの命を絶った樺太真岡
郵便局の9人の若き女性交換手たちが、本土との電話回線を確保していましたが、つい
に電話局が砲撃を受け、全ての電話線がソ連軍により切断されました。
回線が切断される直前の悲痛な電話、「これが最後です。さようなら、さようなら」を
最後に、9人の乙女達は青酸カリを飲んで自決したのです。
最期の通信は、責任者であった可香谷(よしがだに)シゲからの無線でした。
「ワレニンムヲオエリ。サヨウナラ。サヨウ・・ナ・・ラ」     CWを聞く
彼女は服毒後、最後の力を振り絞ってキーを叩いたようです。
当時、無線は、局相互の中継回線が輻輳した際に、待ち合わせている次の電話番号を
送るために使っていました。
従って、電話回線で「さようなら」と告げた後に「可香谷主事補」が最期の「サヨウナラ」を
無線で通報したそうです。
有線の電話も無線連絡も、受信した電話局は「稚内電話局」です。
この9人の乙女の犠牲によって、真岡市に結集していた日本軍は殆ど無傷で樺太から撤
退したといわれています。
殉職された方々は、次の9名ですがいずれも独身だったそうです。
    可香谷シゲ(主事補、23才)
    高石ミキ(24才)
    伊藤千枝(22才)
    志賀晴代(22才)
    吉田八重子(21才)
    高城淑子(19才)
    沢田きみ(18才)   
    渡辺照(17才)
    松崎みどり(17才)

最後の打電の送信者、受信者の気持ちはいかばかりか・・・
この物語を知り、このモールスを聞いて、思わず落涙は不覚か?